実際の有のまヽを写すをかりに写実といふ。又写生ともいふ。写生は画家の語を借ったるなり。又は虚叙といふに対して実叙ともいふべきか。(叙事文)
子規は、写生論を理論上の支えとしながら、俳句実作を続け、その晩年には、次の一句を生みだしている。
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
この句の評価は、まちまちであるが、子規の写生論を取りあげるときには、必ずといってよいほど間題になる句である。この句は、歌人斎藤茂吉によって、子規晩年の代表作の一つとして賞揚されたが、高浜虚子は、子規の佳句と認めることはなく、終生黙殺したのである。
詩人大岡信氏は、この点に触れて、
虚子や碧梧桐のような俳人がこれを認めず、節や茂吉のような歌人がこれを賞讃したことも、思い合せてみれぱ興味がある。
私はこの句を面白いと思っている一人である。(鶏頭の十西五本も)
と述べているが、この句の「ありぬべし」という語法の大岡信氏の解釈には、すぐにはついていけない。「客観写生の語法とはいえない」と指摘したのは、確かに正しい。しかし、客観写生は、虚子のとなえたものであって、子規の句について特に、「客観写生」を問題にする必要はない。さらに大岡信氏は「子規はこうして、去年の鶏頭の思い出のために、筆をとって「鶏頭の十四五本もありぬべし」とすらすら書きつけたのではないか」と論を進めているが、「もありぬべし」という語法は、明らかに、鶏頭の数の多さに対する驚きを表現しているのであり、表面的な写生から内面的な写実へと一歩を進め、鶏頭の生命力、つまり、数の多さと赤の激しさを詠ったものである。大岡信氏が、「もありぬべし」における「も」の意味を見逃しているのが気にかかるのである。「も」にこめられた子規の写生の心は、単なる客観写生とは言い切れない。もちろん、「ありぬべし」という語法によって「も」の意味が深められているのである。完了の「ぬ」と推量の「べし」が結ぴついた「ぬべし」は、確認の意味で使われ、「もあり」という語が述べている事実を確認しているのである。したがって、大岡信氏が指摘するように「ありぬべし」の語法が、「現在ただいまの景を詠む語法としては異様である。」と言い切ってしまうことはできないであろう。
「鶏頭」の句は、鶏頭の生命力を、子規の主観が捉えたものであり、明らかに虚子のいう客観写生の句ではなく、だからといって大岡信氏のいう単なる主観的な思い出の句でもない。子規は、晩年の一連の句で、過去の思い出にふけっているのではなく、表面的な写生から、内的な真を詠う写実へと一歩を進めていることは、間違いない。
子規の写生論は、これまでにも多くの誤解を引き起こしてきたのである。詩人伊東静雄は、芭蕉の象徴主義と子規の写生主義を対比させて、子規批判の論を展開させながら次のような大胆な結論を引き出している。
彼の「写生」は、句の表面に「主観を直叙」することをさけようとすることから出発して、遂にはそれにとどまらず、芸術が芸術たる所以の芸術的直観までも排して、全然没主観的な機械的形象模倣にまでおち入つて行つたのである。(子規の俳論)
この文は、子規自身が語っている次の箇所を読めば、明らかに誤解であると気づくであろう。
文学に於て我が美とする所はある人の説く如く理想をのみ美とするに非ず、写実をのみ美とするに非ず、将た理想的写実又は写実的理想をのみ美とするにも非ず、我の美とする所は理想にもあり、写実にもあり、理想的写実、写実的理想にもあり、而して我の不美とする所も亦此等の内に在り。
我は宇宙到る處に美を發見せざること無く又不美を発見せざること無し。(我が俳句)
また空想に偏することもなく、写実に偏することもない「非空非実の大文学」ということも言っているのである。
作者若し空想に偏すれば陳腐に堕ち易く自然を得難し若し写実に偏すれば平凡に陥り易く奇癖なり難し空想に偏する者は目前の山河郊野に無数の好題目あるを忘れて徒らに暗中を摸索するの傾向にあり写実に偏する者は古代の事物隔地の景色に無二の新意匠あるを忘れて目前の小天地に跼蹐するの弊害あり(中略)
空想と写実を合同して一種の非空非実の大文学を製出せざるべからず空想に偏僻し写実に拘泥する者は固より其至る者に非ざるなり(俳諧大要)
また、子規の芭蕉硯についても様ざまな誤解があるが、斎藤茂吉の指摘が正しいとしてよいであろう。
子規は俳人として芭蕉をばやはり第一位に置いてゐたことは彼の文章が其を証してゐる。ただ一たぴは俗宗匠の蒙を啓かむがために、二たぴは蕪村を尊敬し世に紹介せむがために芭蕉の作の一部をば従来の評価と異なる標準を以て論断したのである。『万葉以後始めて真面目の韻文を成したる者芭蕉の功亦大なり。』『深く天然を研究したるは実に芭蕉を以て始とすべし。其活眼実に驚くに堪へたる者あり。』(松蘿玉液)『芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべき者たること論を埃たず。此点に於て何人か能く之に凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多き処に於て、雄渾なる処に於て、高雅なる処に於て、俳句界中第一流の人たるを得。此の俳句は其創業の功より得たる名誉を加へて無上の賞讃を博したけれども、余より見れば其賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪へぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりも無き句を刻して芭蕉塚と称へ之を尊ぷ俗人もありて、芭蕉といふ名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪へながら、世人は之を知らず、宗匠は之を尊ばず、百年間空しく瓦礫と共に埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村とす』(俳人蕪村)等を見れば、その趣が分かるのである。(正岡子規)
子規の俳句観は、芭蕉のものと、それはど隔たっていたわけではない。芭蕉と子規の二人が、造化について語った文を比べてみると、その点が明らかになるであろう。
芭蕉は、「笈の小文」で、
風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処、花にあらずといふことなし、おもふ所、月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷荻にひとし。心花にあらざる時は鳴鳥獣に類ス。夷荻を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。
と言い、子規は、「病林六尺」で次のように一言っているのである。
草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると造化の秘密が段々分って来るやうな気がする。
したがって、子規の写生論は、芭蕉を否定するものではなく、当時の月並俳句を打破する俳句革新の原動力となるために必要となったのである。そのことを、次の文が、はっきりと説明してくれているので引用しよう。
マチスは何といつても写実から出発しています。そしてその写実が次第に単純化されて行つたものです。ところが日本の墨絵はこんな過程は辿つて居りません。私の小学校の時の図画がまだそうだつたのですが、それは全部、お手本の模写でした。日本画の稽古は、今でもそうかどうか知りませんが、所謂四君子、梅とか竹とか蘭とか菊とかいうものの運筆から初まります。マンネリズムの最も純粋な形態です。こんなのは世界中でも珍らしい事と思われますが、一体に日本の芸術にはこの方法が多い様に思われます。
西洋では、芸術家各人が自分から出発します。ところが日本では、先生の達した様式を習得することから初めます。浮世絵などでも、先生の成功した絵が、弟子達により、くりかえしくりかえし描かれて居るのを見ます。これでは、その様式が少しづヽ洗練される事はあつたとしても、創作ということはすつかり殺されてしまいます。マンネリズムは、日本の芸術の致命的な運命です。このマンネリズムから写実へ帰つたのが革新です。
牡丹散つて打ちかさなりぬ二三片 蕪村
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
これは写実へ帰つたものであり、俳句の革新であつたわけです。私達の俳句は絶対にマンネリズムを避け、私達目身から出発したものでなければなりません。(川本臥風「いたどり選後開話」昭26・6)
子規に始まる近代俳句の歴史は、子規の写生論を起点とするリアリズムの歴史であったといっても過言ではあるまい。しかし、俳句のリアリズムは、ヨーロッパ文芸のリアリズムとは、本質的に違ったものであるということに、まず気づかねばならないであろう。『現代俳句辞典』(角川書店)におけるリアリズム解釈は、こうである。
文芸上のリアリズムとは、作者の空想や主観をしりぞけ、自然・事物・人間の真実を忠実に再現しようとするもので、ロマン派の理想主義に対立する。十九世紀後半、科学と実証主義の伸展に伴って、まずフランスに起こり、他の諸国に及んだ芸術思潮である。リアリズムが近代俳句に導入されたのは明治三十年前後で、正岡子規が俳句の方法として「写生」をとなえだしたあたりから始まる。子規の提唱した「写生」は、高浜虚子によって「客観写生」という形で継承され、虚子のもとを去った水原秋桜子は「目然の真と文芸上の真」で写生の次元を高めた。山口誓子の「写生構成」説もリアリズムに立脚した俳句の新しい方法として注目される。加藤楸邨は「真実感合」をとなえ、写生をひとつの人間の生き方にまでもってゆく態度をとる。金子兜太の「造型俳句論」、沢木欣一の「即境俳句論」などもリアリズム精神の主張といえる。(富囲直治)
ヨーロッパのリアリズムは、まず十九世紀のフランスから始まり、次第にヨーロッパに拡がっていった文芸思潮であって、十九世紀後半の科学の発展と、実証主義の抬頭によってうながされたロマン主義の次の時代の動きなのである。一方、俳句のリアリズムは、科学や哲学と無縁であって、月並のマンネリズムを否定するために生まれた俳句革新の運動である。この両者のリアリズムの本質的な違いは、また、小説と俳句の違いに関することでもある。ヨーロッパのリアリズムは、小説の発達をうながし、文芸における文明批評や社会批判といった新しい一面を開拓することができたのである。日本の俳句のリアリズムは、文明批評や社会批判に向かうことがなく、自然や物にあくまでも即していこうとするのである。その点、子規の写生は、芭蕉の考えと本質的には、それほど違っているとは思われない。
草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると造化の秘密が段々分って来るやうな気がする。(病牀六尺)
と、子規が言っているのは、
松の事は松に習ヘ、竹の事は竹に習ヘ(三冊子)
と、芭蕉が弟子に語っているのと本質的には、同じであり、また、時宗の祖として知られている捨聖一遍上人が、次のように語っているのと同しであろう。
華の事は華にとヘ、紫雲の事は紫雲にとヘ、一遍はしらず(一遍上人語録)
子規のリアリズムの本質を探っていけば、それは、結局日本人の古くからある思惟方法と、全く同じものであると気づくことができるであろう。つまり、『比較思想論』というユニークで綿密な業績をなしとげだ中村元氏が言っている「与えられた現実の容認」ということなのである。それを、中村元氏は、日本人の思惟方法の第一の特徴にあげている。
まず第一の特徴は、「与えられた現実の容認」ということです。われわれは与えられた現実の中で生きている、それをそのまま認めるという観念です。このテーマのもとに、いろいろまたサプタイトルをつけることができて、特徴がいくつかあげられます。そのうちの一つとして、まず「現象界における絶対者の把捉」があります。絶対のものはどこにあるか。西アジアの宗教や西洋の思想においては、人間を離れたかなたにそれを求めようとします。神と人との間には絶対の断絶があるわけです。ところが日本の場合には、絶対のものを現象界の内においてとらえようとする。その考え方はすでに古神道に見られます。たとえば山があればその山を御神体として拝み、川があれば、川の神をあがめる。木には神が宿ると考え、石にさえも神がましますという。謡曲にも例があります。
いずくにか神の宿らぬ影ならん。嶺も、尾の上も、松杉も、山、河、海、村、野田、残るかたなく神のます。
こういう考え方がわれわれの中にずっと続いているわけです。
この日本的な「現実容認」は、また、仏教の方でいう「即身成仏」とか、「人々無量寿所遇皆極楽」とか言っているのと、根本のところでは同しであろう。これらはすべて、単なる理想主義や主観主義を否定しており、仏教の論理「色即是空」で支えられているものである。現実の世界にこそ真実がある、とする考えであり、真実は、他ならぬ現実の世界に見ることができる、とする態度なのである。
俳句がリアリズムの文学であるとするならば、それは、ヨーロッパの社会的実証主義的リアリズムとは違い、俗世間を抜け切ったところのリアルな(現実でありかつ真実である)世界、つまリ、個人の、自由でひろぴろとした内面における真実(リアリティー)を詠いあげるものなのである。俳句は、詩人の心の真実を、つまり、客観化された主観の世界であり、かつ主観となった客観の世界である詩人の心の真実を詠いあげるものなのである。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
蝶飛べりむかしの時間かも知れず 臥風